卵を焼くために、わたしは生きているのだ

今より先に、失望も絶望もない。

雨が消す駅と僕と。

暴力的な、という表現がぴったりな雨だった。

とめどなく雨粒たちは路面に叩きつけられ、町全体がけぶっている。

雨筋で視界すら狭まってしまった感覚にとらわれる。

小さな駅だ。

僕は外に出ることはあきらめて、構内のベンチに腰掛けた。

自動改札は六つ。駅員があわただしくバケツを持って走っている。雨漏りだろうか。

隣に女性が座っていて、それ自体も驚いたのだが、朝の通勤時によく見かける顔であることにさらに驚いた。

気安く挨拶しようかためらわれた。こちらは見知っていても、向こうは全く未知な男かもしれないのだ。

「いつも朝、乗ってますよね」

彼女は唐突に、言った。僕が迷っていた台詞を、無遠慮でもなく、ちょうどいい親しげな口調で、言った。

「あ、はい。あなたもですよね」

「こんなにすごい雨になるって言ってましたっけ?」

「いえいえ。想定外ですよ」

そこで女性は品のいい笑顔を見せた。ぼそりと「想定外っておもしろい表現」と言った。

雨音は絶え間なく続いているが、どこか心地の良い響きだった。

そういえば、室内にいる限り雨は心地よいものだったなと、関係ないことを思った。

「雨はお好き?」

急に彼女は聞いてくる。遠慮がちに横目で伺っていたのだが、ずいぶんと彫りの深い目鼻立ちをしている。

「どうだろう。こうして家に帰れないような雨は、少なくとも嫌いですね」

「もしもだけど」

「もしも?」

「この雨はあなたと話してみたいからわざと降らしたとしたら、どう思う?」

僕は首をひねって、意味を考えた。

「とても光栄だけど、雨を降らすことは不可能だし、それに回りくどいと思います」

「なるほどなあ」

女は楽しそうに笑った。

「でもでも、もしもよ?」

「あ、はい。もしもですね」

「さっきから誰も改札から出てこないでしょう」

僕は周囲を伺った。人気はない。

先ほどまで忙しく走っていた駅員も、事務室に引っ込んでしまったのだろうか。姿はない。

「これもわたしが仕組んだことだとしたら、どう思う?」

「なんのためにです?」

「だから、あなたと話したくて仕組んだとしたら」

「光栄ですが、やはり回りくどいかなあ」

そっかまわりくどいかあ。彼女はそう言って立ち上がった。

雨はさらに勢いを増したように感じる。電車は一向に到着しないが、もしかすると運休になっているのかもしれない。

タクシー乗り場を見るが、雨でかすんでいるためによく見えない。

雨粒が路面や駅舎の屋根を叩く音が、シンバルのように反響している。

するとこの場所だけが、世界から切り取られてしまったような、そんな焦燥感に駆られる。

この場所で僕は雨から守られていると同時に、この場所から逃れることはできない。

女は閉まった売店から改札を、円を描くように歩いてからこちらを見た。

遠くて声は聞こえなかったが、もしもよ? と唇が動いたように、見えた。