卵を焼くために、わたしは生きているのだ

今より先に、失望も絶望もない。

本棚という宇宙

今週のお題「わたしの本棚」

 

 安い組み立て棚だった。初めて自分で買って組み立てた、ホームセンターで買った本棚だった。

 そこに好きな本を収納していった。筒井康隆が構えて、太宰治が鎮座して、阿部公房に庄野順三、そこからアガサクリスティ、ポールオースターに村上春樹が並んで、混然としていたけれど充足感があった。

 自分の心の中の喜びや悲しみ、そういう小さいのか大きいのかわからない世界が、ぎゅっと凝縮された場所が、わたしの本棚だった。

 つぐみ、というよしもとばななの作品が収まったころ、わたしはその作品に感銘を受け、同時に、現実世界にとても不安定な、悲しみを、悲しみに似たかすかな生きる喜びを感じた。

 高校生だったろうか、多感といえば聞こえはいいが、純粋な、不器用な、無知な、愚かな存在が未来を見据えて、少しだけ答えを見たような気がした時期だった。

 とにかくわたしは今いるような小さい器に収まるべきではない。ではもっと大きな器はどこにあるのか、それはきっと、大学なんてつまらない消化試合でなく、挑んでみなければ見つからない、そういう雲の中に答えがあるのだと、わたしは馬鹿なりに決意していた。

 結果的にわたしはなにもしなかった。

 若さなりの道を外れた行為や、思い切った行動はあったのかもしれないが、どれも現実的に有益に、最短距離で結果を求められるような、まさに当時わたしが嫌っていた効率という社会人に求められる結果を残すことすらできなかったわけだ。

 若さってそんなものじゃないかと、今は落ち着いて、当時の自分を暖かく見守れる。

 正しくも間違ってもない。

 ただあなたは無駄な時間を過ごした。

 無駄だった。これは申し訳ないが、自分に厳しく言いたい。そんな時間があったなら、もっと文章を書け。映像を撮れ。なんでもいい。残せ。想像したものを残せ。それをしなかったあなたは、自分は、なにもしなかったと同義なのだ。

 

 わたしの本棚には、今でも宇宙が広がっている。

 吉田修一川上未映子、料理のレシピ本や実用書も増えた。量子力学の専門書も並び、案外本職である心理学の本も並んでいるのだが、やはり若き日に買い集めた太宰の本たちが、わたしを読んでいる気がする夜もある。

 なにもできない日の夜。

 黒い背表紙がきついじゃないのと、わたしは太宰の本に悪態をつくのだ。