卵を焼くために、わたしは生きているのだ

今より先に、失望も絶望もない。

ヴィーガンやめました。その後(3カ月)

お題「マイブーム」

 朝から雨が降っていた。

 息子が「ダムの水はどこから来るの?」と空を見上げて言っていた。

「雨だよ」

「雨? ふうん」

 わたしがヴィーガンになろうと思った日も、わけもなく、妙に雨が降り続いていた朝だった。

 新しい朝、希望に満ちた朝ではない、暗く沈んだ、町が塞いでいる朝だった。

 

 さて、わたしは4年間ダイエタリーヴィーガンを行い、今年の4月にとりあえずやめてみたわけだが、その後どういう変化があるのか、現在進行形で考えてみなければいけないと思う。

 4年というのはそもそも短い。これは断言できるのだ。

 たかが4年間でヴィーガンを語るのはおこがましいのだが、人体の変化としては、分析するに値するのかもしれないと思う。

 

 4年前、わたしはひどい花粉症に悩んでいた。

 それから抜けない疲労感に倦怠感、もっとも困っていたのは緊張する場面で精神的に発汗してしまうことだった。

 人前で話すのはもちろん、会議や研修、小規模なものでもいい。極論すれば電車や電話もなのだが、今すぐに逃げ出せない環境に置かれると、もう汗が止まらないのだった。

 腹痛もちょくちょくあったし、便秘になったり風邪をひいたり、そういう普通の人ならば必ず体験することはあった。

 ヴィーガン生活を始めると二週間ほどしたころだろうか、体は軽く、疲れを感じなくなった。疲れというのは、なんだろうか、内面から出てくる、分泌される成分のような疲れ、それがなくなった。

 体は軽く、目覚ましなしで起きられるようになり、お腹がすくということもなくなって、眠気は日中も感じなかった。

 一年たつとアレルギーが治った。花粉症は完治して、肌が綺麗になった。鎖骨に出ていた黒い染み、恐ろしい帯状の染みがすべてなくなり、日焼けしても皮がむけなくなった。それどころか、皮膚の回復力というのだろうか、つねにきめ細かい皮膚が形成された。

 風邪は引かず、腹痛もなくなり、「痛み」「不調」というものから完全に解放された。

 

 美味しいものを食べられる<体も心も快適すぎる。

 

 この構造が出来上がってしまうと、自然と人は身体の快適さをとるのではないだろうか。

 最初は辛い。

 肉も魚も、脂の匂いもソースの旨みも、すべては記憶にあるのに摂取できないという地獄の苦しみだ。

 だが、それを上回る恩恵があるのだ。恐ろしいまでの恩恵。生まれ変わったかのような、心身の快調。

 

 ダイエタリーヴィーガンを辞めて早3カ月になる。

 変わった点を正直に列挙してみたい。

 まず、太る。これはもう仕方がない。今までが痩せすぎだったのかというとそうでもない。痩せ気味ではあったが、わたしはきちんと筋肉はあった。それはテニスやランニングでかなり体を酷使していたことも原因だ。

 とにかく太った。五キロ前後、これは享受しなければならない。

 

 風邪をひいた。

 さっそくひいた。温度変化が大きい春先に、さっそく風邪をひいて、最初は熱があることの記憶が蘇らず、二日酔いか何かだと思って仕事をしていた。

 花粉症が、やや再燃した。

 来年の春には再発するかもしれない、予兆が、今年はあった。鼻がむずむずして、目がかゆくなった。

 便はとても臭うようになった。これは予期していたが、肉食は臭い。肉は腸内で完全に消化できずに、体内で腐る。だから臭い。理論通りの変化が体で起きていて、わたしは苦笑するのだ。

 

 疲れやすくなった。

 なんだろうか、身体が重いのではなくて、心が疲れている。前ならば朝一番で飛び出すように走りに行っていたものが、今はまず頭で考える。

 今日走る意味はあるのかと。三日に一度でいいと言っていなかったか、そういう理由づけばかり考える。

 

 食事が楽しくなった。それは思っていた以上に人生を豊かにしてくれている。

 矛盾するが、心身の快調は素晴らしかったが、再び「美味」に再会すると、その幸せを痛感する。

 例えば卵の柔らかな風味と滋味深い奥行きある味。肉の脂身の、心を震わせるような美味しさ。魚の新鮮な風味、シーチキンピラフの軽妙な味。ごま油の風味(油はオリーブオイル限定だった)。パンをパスタソースに付けて食べる幸せ(小麦製品も断絶していた)。なにより家族で同じものを食べるという、あたりまえの光景、人と同じ食べ物を食べるという、あたりまえのこと。

 

 たぶん、たぶんなのだが、今わたしが考えていることを最後に書く。

 菜食主義者は、健康面において、正しい。

 地球環境だとか、そういう壮大な面でも、もちろん正しい。動物愛護、飢餓撲滅、すべて理に適っている。

 そして病気の発症率も、著しく低いと思われる。

 わたしはこのまま普通に食生活を送れば、そう遠くない日に癌なり、心臓病を患うだろうと思う。

 ただひとつだけ、ヴィーガンへの偏見はなくなってほしいと思う。

 俗にある健康法とは、まるで違うのだ。

 糖質制限ダイエットだとか、朝食抜きだとか、バナナだとか、そういうものと、野菜しか食べないの? と同列に語られるのは、間違いなのだ。

 完全菜食主義とは、なにさえすればいい、というものではなく、あらゆる選択肢から、野菜や穀類を選び取ったと、それがダイエットに直結するという打算的な考えだけではないし、両手を挙げて「なんて素敵な、完璧な食事法なんだ」と浮かれているのでもない、もっときちんと自分と向き合った、世界と向き合ったものであると、わたしはそこまで崇高ではなかったが、そういう意志力を尊重してあげて欲しいと思うのだ。

 

 というわたしは、いつ菜食主義に戻ろうかと、この頃考えている。

 雨が降り続く町を見上げて、息子が言った幼稚な発言を思い起こし、「ダムはどうしてたまるの?」

「人はどうして満たされるの?」

 そう自分に問いかけてもみるのだ。