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卵を焼くために、わたしは生きているのだ

今より先に、失望も絶望もない。

嫌いなもの

才知と美貌、そして使い切れない財産を持っている。これは揺るぎようのない事実なのだから仕方ない。
 
そんなわたしでも、たくさんの嫌いなものがある。
 
嫌いなものの話をされると、えてして聞き手は不愉快になるものだ。
 
だから今日はあえて嫌いな物事を書いていこうと思う。
 
これはわたしの性格が悪いからではない。むしろ性格は良いほうである。
 
性格は良すぎるくらい良いと、そう思っている。
 
ただ残念なことに、人から性格が良いと言われたことはない。
 
 
 
髪を切るのが嫌いだ。
 
椅子に座らされ、身体を覆われ、両腕の自由を奪われて、そして背後には刃物を持った人間がいる。
 
この状況がすでに間違っているのである。もはや打つ手なしの状況である。
 
そして延々と続く会話だ。
 
一度だけ言うが、わたしは美容室に会話しに来ているのではない。
 
髪を切りに来ているのだ。
 
髪を、切りに来ているのだ。
 
一度だけしか言わないと思ったでしょう? こうやって人を騙すのは好きなのである。
 
次に嫌いなのは、買い物時における「ポイントカードはお持ちですか?」だ。
 
なぜだ。なぜ毎回同じことを聞くのだ。もちろんこの美貌を覚えておけとまで高慢なことは言わない。
 
しかしだ。大きな文字でレジ横に「ポイントカードは先にお出しください」と書いてあるではないか。
 
ないから出していない。あれば出している。
 
ではなぜ聞く? わたしがフランス人にでも見えると?
 
ならばフランス語で聞くがよろしい。
 
さらに行きつけのスーパーのひとつに「レジ袋はお付けしますか?」と聞いてくる店もある。
 
「レジ袋が不要な場合は、この札をカゴに入れてください」と書いてあるではないか。
 
札が入っていない、それすなわち袋を欲しているということなのだ。
 
それともなにか。わたしのバッグの隙間に入るのでは? という嫌味なのか。
 
一度だけ言うが、わたしは日本語を理解しているつもりである。
 
今度は一度しか言わなかった。我ながら見事なフェイントだと思う。
 

嫌いなものは枚挙に暇が無い。
 
甘いものが嫌いだ。そもそもなぜ甘いのだ。きっと甘いものが好きな人が多いから甘いのだとは理解している。
 
しかし例えばおはぎだ。なぜご飯を甘いもので覆ってしまうのだ。
 
ご飯への冒涜ではないのか。
 
そのひと手間で、わたしが食べられなくなるのだ。これはもうわたしへの嫌がらせとしか考えられない。
 
まあ甘いものは良い。許す。
 
問題は熱いものだ。猫に確認したわけではないが、猫以上に猫舌を自認するわたしは、極端に熱いものを嫌う。
 
ドリアなんぞという食べ物は罰ゲームでしかない。
 
仕方なくぐちゃぐちゃにしてなるべく早く冷まそうとすると「汚い」と怒られる。
 
なぜ怒られてまで食べなければならないのか。非常に理不尽である。
 
鉄板に乗って提供されるハンバーグも腹立たしい。
 
脂が飛び散るからと紙エプロンをさせられてなんだか赤ちゃんバブバブみたいだし、そしてもちろん一向にお肉は冷めない。
 
せめて最初に聞くべきなのだ。鉄板で提供しましょうか? それとも普通のお皿で?
 
もんじゃ焼きなんて人生で一度だけしか食べていない。
 
ヘラで表面を焦がして口に運ぶ? 修行なのかそれは。
 
もんじゃは修行か?
 
そんなマナーは無視して、取り皿にとって待っていると、それを食べる頃には鉄板はすっかり綺麗になっている。
 
あきらかにわたしの食べられる量が少ないのだ。
 
もんじゃは今後も食べない決意でいる。
 
お茶だって、冷めるのを待って飲んでいる。
 
しかし気の利かない人々は「あら、冷めちゃったわね」などとのたまい、新しく淹れなおしてくれる。
 
冷めたのではない。冷ましていたのだ。この違いはとても大きい。
 
分かりますか? 恋と一緒です。冷めたのではない。冷ましたのだ。
 
恋は覚めたらお終いだが、お茶は冷めてもお茶なのだ。
 
なんだかうまいことを言ったような気もするが、若干恥ずかしいのはなぜなのだ。
 
こういうすべった感も嫌いである。

 

今週のお題「マイベスト家電」