卵を焼くために、わたしは生きているのだ

今より先に、失望も絶望もない。

わしたちの帰る場所

甘党だというわたしに、自分はブドウ糖だと言い張る友人がいるのだ。
 
そういう観点の話ではないのだ。
 
 
 
わたしはタイ旅行で日本人に道を聞かれたことがあるのだ。
 
さらにタイ人にタイ語で話しかけられたときには、帰化も考えたのだ。
 
 
 
要するに、で始まる話は確実に要約されていないのだ。
 
これはレッドカレーよりもグリーンカレーが辛いという視覚トリックに良く似ているのだ。
 
 
 
父は上戸彩を「カミト サイ」と呼ぶのだ。見事に一文字しか合っていないのだ。
 
 
 
友人がブーツカットジーンズの丈を詰めたらストレートジーンズになってしまったのだ。
 
 
 
立地が悪いだけの店を、隠れ家と呼ぶのはもうやめにして欲しいのだ。
 
それが許されるのならわたしの家は秘境だ。
 
 
 
特定保険用食品にはまっている友人だが、結果的にはトホホな状態なのだ。
 
 
 
スーパーで売られている「妻せつこ」というトマトは、購入時にどうしても背徳感を覚えてしまうのだ。
 
 
 
やはりスーパーで売られている「桃太郎」というトマトは、桃にも桃太郎にも起因していないことが腹立たしいのだ。
 
 
 
宝くじに当たれば大金を手にいれらるのに、牡蠣にあたっても細菌しか得られないのだ。
 
 
 
ユニクロに寄付してきたという母を、ユニセフだと正す気力は残っていないのだ。
 
 
 
同じ釜の飯を食った仲だろうと言われても、社員食堂ではさほど絆を感じないのだ。
 
 
 

とりあえずアボカドとパプリカ的なものを頼めば女子が喜ぶ風潮に反対なのだ。
 
ひじきや切り干し大根の方をありがたがるべきなのだ。
 
 
 

薬を見ただけでよだれを垂らすならば、それはパブロフの実験の完成を意味するのだ。
 
まさしくパブ論なのだ。
 
 
 

災害に備えて彼はお米券を買い集めているのだ。
 
微妙に間違っているように感じるのだ。
 
 
 

目玉焼きに何をかけるかで、こ一時間議論できたあの頃が懐かしい。
 
保険金をいくらかけるかで、こ一時間議論になる生活なのだ。
 
 
 

こけしの本来の漢字は子消しなのだ。
 
そんな暗い雑学を飲み会の席で言わないでほしいのだ。
 
 
 

空腹を救うことをカロリーベースで考えればアンパンマンよりもメロンパンナちゃんが強いのだ。
 
そしてバターと生クリームの配合率によっては、ショクパンマンも高カロリーが期待できるのだ。
 
 
 

マルゲリータですら恥ずかしい。
ピッツァも抵抗がある。
ペペロンチーニ? おい、イタリアン。調子に乗りすぎではないか。
臆面もなくたらこパスタとか、普通に郷土料理みたいなものを並べている神経を疑うのだ。
 
 
 

首の皮一枚で助かったというが、それは出血多量なのだ。
 
 
 

バレーボールシーズンになると、ふと思い出す。バボちゃんという亡霊を。
 
 
 

完璧な接客は存在しないんだ。
完璧な絶望が存在しないように。
そう言って首になったことには後悔していないんだ。
あるかもしれないし、ないかもしれない、そんな村上的な話題なのだ。
 
 
 

軍手をつけるたびに、なにかと戦わなければいけない気がすることの不自由さに気がついたのだ。
 
 
 

らっきょうが好きだという人がわたしの周りにひとりもいない。なぜだ。どこにらっきょうの需要はあるのか。
 
 
 

愛した人が、今どこかで生きている。
知らない場所で、知らない毎日を送っている。
ただその人が生きているというだけで、わたしも生きなければならないと思う、その気持ちはなぜ湧き上がってくるのか、とても不思議だ。

 

 

今週のお題「わたしの一足」