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卵を焼くために、わたしは生きているのだ

今より先に、失望も絶望もない。

紙人間

 

瑞希の得意料理は餃子だった。

餡を手早く包み、ひとつの餃子にヒダが五つ、規則的についていた。

「本当はヒダヒダなんてなくて、ぴたっと閉じちゃうともっと美味しいらしいんだけどね」

「そうなの? そっちの方が楽じゃん」

「見た目が可愛くてね」そう言いながら、瑞希は手を止めることなくすべて包み終える。

熱した鉄のフライパンから湯気が出ているところへ餃子を並べる。じゅう、と大きな音がする。

ある程度焦げ目の付いた段階で、お湯を注いで手早く蓋をする。ここまで終えると肩の力を抜いて、小さく笑う。

瑞希のこの笑顔は、なかなか素敵なのだ。

付き合うまでにはなかなか大変だった。

なにが大変って、彼女が拒むからだった。理由は単純で、「わたしは紙だから」ということだった。

もちろん最初は僕も驚いた。

凛とした目鼻立ちの美しい女性だったが、どこか違和感があった。皮膚感が違うことに気づくまでにしばらくかかった。

紙、といってもぺらぺらな一枚の紙ではない。当然だ。幾層にも重ねられた紙で、精巧に人体が作られている。

いや、こんな説明をすると、彼女を人間として見ていないかのようで、自己嫌悪に陥る。

単純に、人間の皮膚にあたる部分が紙でできているというだけのことだ。

しつこいほどに誘って、やっと食事をすることになった。

話は不思議なくらいに弾んだ。音楽や読書の趣味がぴったりだったのだ。

「あの作品はバッドエンドでしょう」僕は言う。「そこが最高に気に入ったんだ」

「違うわよ。あれはハッピーエンド」彼女は言う。「別れはあのふたりにとって足かせが取れた、なんていうか自由になれたの」

「真逆じゃん」

「そうね」

瑞希の意見はいちいち面白かった。彼女も、僕の意見を好んでくれているのだと思う。

海へ行ったときは初めて喧嘩になった。

一向に砂浜から動かない彼女に「せっかくの海なんだからさ」と僕は言ったのだ。

「これってさ、今日一日ってさ、壮大なわたしへの嫌味?」

そこで気がついた。瑞希は紙なのだと。

付き合い始めてからそれなりに月日が経ち、あまりに普通に過ごしていたために、肝心なことを忘れていた。

水になど入れるわけがない。

僕は何度も謝り、水族館に行ってペンギンを見たあたりでやっと彼女の機嫌も直った。

「ねえ。泳ぐってどんな感じ?」

「うーん。重力から解放されるというか」

「なに難しいこと言ってるの?」

彼女はそう言って、ペンギンの愛らしい姿を追っていた。

結婚を切り出してみたのは季節が一巡して冬が終わる頃だった。

予想通り、瑞希は頭を縦に振らなかった。

「だってね。わたしは」瑞希は言う。「紙だから、でしょう?」と僕は遮る。

「うん。ごめんね」

「それを承知で言っているんだけど」

瑞希は首を振る。もちろん僕は諦めるつもりなど毛頭ないのだ。

男でも苦労する鉄製フライパンを、瑞希は険しい顔で持ち上げる。皿を被せて、勢いよく逆さまにする。

見事なキツネ色の、羽根つき餃子が完成する。

どんなもんだというように瑞希は微笑む。この笑顔も凛々しくて素敵だ。

その日のハイキングは最低な一日となった。

天気予報は必ず、しつこいほどに確認していくことが日課であった。当然その日は一日快晴のはずだった。

瑞希の作ってきてくれたお弁当を食べ終わり、歩き出したところで雨が降り出した。

突然の雨は勢いをどんどん増し、視界が曇るほど降った。僕は上着を瑞希に掛け、彼女を背負ってとにかく急いだ。

二十分程度でログハウスに到着したものの、彼女はすっかり湿っていた。

目には生気がなく、とても疲れていた。暖炉の近くで、体が乾くのをじっと見守った。

「ね?」小さな声で瑞希は言う。「面倒でしょう。紙の女って」

「そうでもない。これからはいつも雨合羽を持ち歩くことにする」僕は言う。「いろいろと気が利く男になれるような気もする」

「わたしのおかげで?」

「そうそう。紙の人のおかげで」

「バカな人」そう言って瑞希は笑う。やはり素敵な笑顔だった。