卵を焼くために、わたしは生きているのだ

今より先に、失望も絶望もない。

生き物を殺さない、ということ。

 わたしはこのブログを書くにあたって、読み直しをしていない。
 だからこのヴィーガンというカテゴリは、何度も同じようなことを書いている可能性はあるのだが、気にしないでほしい。
 適当な性格なのだ。そうやって開き直って、今日も同じことを書くのだ。

 食というものに、いつもいつも人は敏感だ。
 ダイエット法は大人気だし、健康食についても日々新しい手法が紹介される。
 朝食抜きダイエットやバナナダイエットは瞬時に駄目なものとして覆った。まあ普通に考えれば、食事回数を減らせば飢餓状態に陥り、摂取能力が増加して太る。バナナだけなんて糖質ばかりじゃないかと、突っ込みどころは満載なのだが、しかし正論なのかな? と思わせるだけの根拠も示してくるから厄介なのだ。

 糖質制限。
 これが今現在信奉されている最先端の食事療法だろうか。
 炭水化物抜き、は古くなってしまったか。
 糖質を制限すれば急激なインスリンの排出を防げて、緩やかな血糖値の上昇によって太りにくいという話だったように思うのだが、間違っていたら申し訳ない。

 結局、いつかこれも覆されるのだろうと思う。
 それはいいのだ。
 これが素敵だと話題になり、人が食について考える。そのこと自体が重要なのだと思う。

 食を真剣に考えると、完全菜食主義の人々が生き物を殺して食すことに嫌悪することが、少しは理解できるのではないかとも思う。
 わたしは繰り返しになるが、4年間ほど完全菜食主義を実験し、今年の四月から普通食に戻している。
 動物を殺戮して食すことに罪悪感はない。
 フォアグラを作るために、金属製の管を喉の奥深くに突っ込まれて、動くことすらままならない状況で肝臓を肥大させられる鴨を見てどう思うのか。
 殺されるために、脳天に鉄球を打ち付けられる豚の映像を見てどう思うのか。
 より知能の高い生き物が残酷に、食べられるためだけに生きさせられている姿を見てなんとも思わないかと問われれば、それは違う。
 可哀想だと思うし、理不尽で、なにより人間という利己主義な生き物を反省することはある。
 生きたまま皮を剥いでバッグやファーを作る。生きたままでないと質が落ちるという理由で、より残虐な殺戮をする。
 動物愛護の精神でヴィーガンを貫く人々を尊いと思う。尊敬している。
 だってほかに食べ物なんて、それこそ腐るほどあるのだから。
 もし人間が肉を食べないと、肉を得るための飼料、牛豚馬羊、その飼料だけで飢餓なんて皆無になるのは明白な事実なのだ。トウモロコシなどの家畜に与えている飼料は、むしろ余っているのだ。
 
 菜食主義の人を悩ますのは、屁理屈だ。
 じゃあ植物は生き物じゃないのか。生き物を殺さないといいながら、植物は殺すのか。
 面白い反論だが、これはすでに論争の根底を間違っている。
 生き物の定義は痛みを感じるものか、あるいは自己の脳で考えることができるものなのか。
 例えば魚は痛覚がない、と二年位前まで信じていたが、それを覆す研究発表があった。
 サボテンに声をかけると生育が早まるという論文も、たしか十年位前にあった。
 そういう意味では、意識があるとか、見た目がかわいいとか大きさだとかでは言いきれない部分があるのは認める。
 
 なには食べても仕方なくて、なには食べてはいけないのか。
 それを動物愛護の精神で語ると、必ず屁理屈の反論が来る。
 滑稽だと思う。
 わたしは前にも書いたが、犬だって食べても構わない。
 かわいいから食べないという思想はない。
 しかし、生命を愛護する人々を尊重する。なぜならば、人が人を敬うように、人が異なる生命体を敬うのは、至極当然な精神だと思うからだ。
 それを屁理屈で、意味不明な理論で茶々を入れるのだけは、違うのだと思う。

 と、何を書いているのかわからない自分もいる。

 

 

今週のお題「植物大好き」