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卵を焼くために、わたしは生きているのだ

今より先に、失望も絶望もない。

行列

追憶の展覧会

僕の近所の商店街に、行列ができているという話を、妻から聞いた。

「へー、なんの店なの?」と僕は新聞をめくりながら聞いた。

「分からないけど、美味しいラーメン屋さんがオープンするみたいよ」

「ラーメンねえ。行ってみる?」

「遠慮しておく。わたし待つの嫌いだし」

「ふーん。女の人って並ぶの好きなのかと思ってた」

そう言うと、妻は「全員がそうとは限らないでしょう」と馬鹿にしたように言った。

散歩がてら商店街を歩くと、確かに行列はあった。

素通りしようと思ったが、気になったので最後尾に並んでみた。

「あのう」列に並ぶと、急に仲間意識が芽生えるから不思議だ。気兼ねなく声をかけた。「これって何に並んでいるんですか」

前に並んでいる同年代の女性に声をかけた。

「わたしもよくわからないんですけど」女性は整った顔立ちをしていた。実に美人である。「オープンセールでとっても安いと聞いたから」

「オープン? なんのお店です?」

「それがわからないんです」

「ラーメンじゃないんだ?」

妻の情報は間違いだったようだ。

「ラーメン? 食べものじゃないと思いますけど」

そんなやり取りをしていると、僕の後ろにまたひとり並んだ。

「すごい人気ですね」

初老の男がそう声をかけてきた。

「ですよね。先頭がまるで見えないですもんね」

そう僕は返した。

「で、なんの行列なんです?」

男はやはりそう聞いてきた。

「分からないんです。なんだかオープニングセールらしいんですけど、ラーメンとかではないみたいです」

「あれ、新しいスマートフォンの発売じゃないんですか」

「え、そうなんですか?」

「家内からそう聞いてやってきたんですけどねえ」

初老の男は困ったように笑った。「まあ暇だから並んでみますかねえ」と言った。

行列が伸びると、それに興味を示す人々が更に並んだ。

その度に情報が錯綜して、サッカー日本代表のチケットだとか、AKBのライブチケットだとか新作ハンバーガー無料試食だとか、ミシュラン料理人のレストランのオープンだとか、様々だった。

やっと列が動き始めた。時計は午前十時十二分を示していた。

なるほど、なにかは分からないが開店したらしい。

それからは順調に、少しずつ少しずつ列は動いていった。

「思ったより回転速いな」そんな声が聞こえた。

列は進み、角を曲がっても遥か先まで人々の頭が見えた。

歩けど歩けど、先頭は現れなかった。

そして日が暮れかかってきた頃に、僕は最初に並んだ地点に戻ってきたのだった。