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卵を焼くために、わたしは生きているのだ

今より先に、失望も絶望もない。

年齢で切りをつけるということ

日常

 40歳になったら、きっとわたしはあらゆる物事に対して、言い訳をし、新しいことは始めないだろうと感じていた。
 30歳になるときには思わなかった感情だった。
 30ならまだ先がある。結婚はしていたが、子どもを頂き、住居を取得し、人生における大きなイベントはまだまだあったのだ。
 それが40になると、獲得するものはすべて終わり、あとはいつ手放していくのか、子どもの独立に親の介護、そういうマイナス面、失っていくことばかりが始まっていくのだと考えていた。
 だからだ。
 だからわたしがやりのこしたことは、きとんと40歳になるまでに、やらなければいけないと思っていた。
 もう二度と、一からチャレンジしようなんて思うことはないんだろうと、そういう性格だと、わたしは自己評価していた。
 ではなにをすべきか。
 わたしは数日間悩んだ。いろいろな広告やネットや、そういう情報を得て、それでもなおわたしがやりたいこと、やるべきことは何なのかと、自問自答する日々が続いた。
 わたしは社交的な人間ではない。口下手で、ひとりで本を読んでいるのが好きなタイプで、だから引っ込み思案だ。
 声も小さく、食べかたも豪快とは程遠く、麺をすすれないような神経質な人間だ。
 話すよりは聞いているほうが楽だという、その場にいて申し訳なくなるような人間だ。
 でも飛び出さなければと思った。
 新しい場所に出ていく。新しい出会いを享受する。
 まずはテニススクールに入った。これですら奇跡的なことで、知らない人々の中に飛び込むなんてことは、それこそ学生時代以来だった。
 スキューバダイビングにボルタリング、スキー、山登りにテニス、ランニング、色々とこの機を逃したら一生しないであろうものごとはあったが、選び取ったのはテニスとランニングだった。
 ランニングは孤独でもできる。
 好きな時間に好きなペースで、好きなだけ走る。
 走っている間、どれほど退屈なのかと思っていたのだが、音楽なんて聞かなくても、実に走っている間は雄弁だ。
 自分と話すのだ。
 ずっと考えている。わたしは正しいことを昨日はしたのか。今日は正しいことができるのか。いや、正しくなくとも人のためになれるのか。家族のためになれるのか、もう様々な思念が駆け巡り、最近のわたしは、走ることとは考え続けることだとさえ思う。
 テニスはスクールだけでは物足りず、サークルに入った。
 もう勢いだ。
 誰でもいい。どんな出会いも恐れない。とにかくテニスをしたい。その思いが、この内弁慶を変えてくれた。
 スキューバやボルタリングは諦めた。
 しかし40という言い訳ばかりの年齢になる前に、やりたいことに手を付けられたことには、とても満足している。
 もうひとつ、劇的に体や精神を変えたかった。
 だから完全菜食主義を始めた。
 野菜と雑穀米だけの生活、しかし家族には肉魚卵の料理を別途作るという生活は、最初は本当に辛かった。
 焦げ目のついたハンバーグを、わたしは食べずに家族が食べる。その笑顔、香り、照り、すべてがわたしの心を抉るように、食欲という欲求を直撃して、痛めつけてきた。
 前にも書いたが、もちろん菜食だけでも味の違いは大いにある。
 ロメインレタスにグリーンリーフ、サニーレタス。食感も違えば味も違う、甘さ、苦さ、色々と楽しめる。
 けれどその微細な変化は、改めて何でも食べるようになってみると、違いなんてないも同然だ。
 アジやサバ、豚肉のこま切りとロース、そういった食材の味の違いに比べたら、どうでもいいレベルだ。
 40を超えた今、ヴィーガンはひとまず卒業した。
 もちろんこれも確定でなく、野菜だけの人生にいつでも戻れる覚悟はある。それほど野菜だけの食生活にメリットはある。
 このメリットは本当に、とんでもなく大きなものなのだ。
 美味しいという味覚を捨てるだけで、これほどの恩恵を受けられるのか? と驚くほどなのだ。
 まあそれはともかく、テニスに走ること。これは40までに始めた。
 でも欲は出る。
 45までに、今度はなにかを始めようと思う。
 きっと人は、いつだってなんだって、始められるのだ。
 臆病にならないで、明日、始めてしまえば、なんとでもなるのだと、ようやくわたしは気がついたのだ。

お題「わたしの黒歴史」