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卵を焼くために、わたしは生きているのだ

今より先に、失望も絶望もない。

国民投票

追憶の展覧会
 
もう何度実施されたか分からない、その結果速報がテレビから流れた。
 
今回は子どもの名前についてだ。
 
僕と千恵は男の子であろうと女の子であろうと、名前の候補を一切考えていなかった。
 
考えるだけ無駄だからだ。
 
テレビの速報では、「一位 祐樹 3223万票」で、「二位 拓哉 2178万票」を大きく突き放していた。
 
「祐樹だってさ」僕は複雑な気分で妻に告げる。
 
「うん。よかったね、まともな名前で」千恵は小さな赤子を抱き上げて、祐樹くんと話しかけている。
 
僕に対する国民投票が始まったのは、かれこれ二十年前からだ。
 
そのおかげで行きたくもない私立の名門高校を受験させられ、大学は一年浪人してまで京都大学に行かされた。
 
国民の大半は、やはり学歴に重きを置いているらしい。
 
投票結果が出ると、僕はその結果に従って生きていくしかない。
 
大きな声では言えないが、千恵との結婚も納得のいかない投票結果であった。
 
当時付き合っていた女性とは、国民投票で反対多数で離別が決定された。
 
大きな喧嘩もなく、相性もよかったふたりだったが、しぶしぶと別れたのだった。
 
幾度も反対される理由を考えてみた。両親が言うには、結局のところ女性は見た目で判断されるから、だからあの子みたいに髪を染めていると国民の支持は得られない、そういうことらしい。
 
いっそこの国から出てしまおう、怒りに任せてそう提案したこともあった。だが半日後には国民投票の結果が告示された。
 
「国外への駆け落ち 反対7580万票 賛成12万票」
 
結婚相手も出産時期も、転職もすべて国民投票によって決められてしまう。
 
「こういうのってさ、この先もずっと続くわけだよ?」
 
酔った晩に、千恵に言ってみた。
 
「そうね。でも仕方ないわよ」
 
千恵も辛いはずだが、そんな素振りは一切見せなかった。
 
国民投票で決まった「新しい冷蔵庫の購入」を受けて、必死にカタログをめくっていた。
 
選挙の投票率よりも遥かに高い僕への投票率。この国は私人のプライベートがそんなに好きなのだろうか。
 
「一度さ、背いてみようかと思ってる」
 
「ダメよ。いいことがあるわけないもの」
 
例えばこの冷蔵庫の件、こんな些細なことなどどうでもいいではないか。僕は蓄積したストレスを実感した。
 
一度考えてしまうと、意地でもこの投票結果というやつに背いてみたいくなった。
 
その日は上司との飲み会の予定が入っていた。
 
幼いわが子の顔を見たいのだが、「今年中に昇進すること」という投票結果を達成するには、こういう飲み会も断るわけにはいかない。
 
だからこそ断ってやった。別にどうということはなかった。上司も「お子さん小さいしな。仕方ない仕方ない」と笑っていた。
 
冷蔵庫も買わなかった。まだ使えるのだし。
 
自由意志で生きていけることがこんなに楽なものなのだと、初めて実感した。
 
もう発泡酒ではなく本物のビールを飲めるし、通いたかったテニススクールだって行ける。
 
犬を飼ってみるのもいいかもしれない。あ、サプリメントももう飲まなくて良いのだ。率先して雪かきしなくても良いし、打ち水なんてやるものか。
 
そんな矢先、テレビから国民投票結果が速報で流れた。
 
「相次ぐ公約違反。罰則の投票結果についての速報」
 
急速に血の気が引いていった。こんなことまで投票で? いったいこの国はどうしてしまったのか。
 
「一位 懲役二年 3390万票 二位 懲役三年 3320万票 三位 死刑 3180万票」
 
僅差で極刑を免れたことに安堵する自分が、そこにいた。
 
投票してくれたひとりひとりに、感謝したい気分だった。