卵を焼くために、わたしは生きているのだ

今より先に、失望も絶望もない。

子どもの可能性をつぶさないために

 親になるということは難しい。
 わかってはいたが、理解していた以上に難しいことに日々気づかされる。
 親になる年代というのが、そもそも人間として可能性を出し切った状況であって、例えばわたしが今からプロテニスプレーヤーになれない、起業して業界を席巻するような会社運営をする、もしくは小説が新人賞を受賞して……、どれもあり得ないことではないのだが、その可能性は著しく低い。
 けれど子どもには言うしかないのだ。
 やればできる。やらなければ決してできない。でもやったからといって出来る保証はない。でもやらなければ始まらない。
 わたしの現状と照らし合わせれば、なんと無邪気な子どもの心をもて遊んでいるのかと、心苦しくなる。
 この子が懸命にサッカーを続けたとして、プロになること、プロになって生計を立てられるだけの収入を得ること、きちんと生きていく地盤を固めることすら難しいかもしれない。
 それなのに香川真司岡崎慎司を話に出して、あんなふうになれるかもしれないよ? などと絶望的に可能性の低いことを吹聴したりもする。
 けれど言いきれないから言うしかない。息子が大成しないと決めつけてしまったら、親が信じてあげられなかったら、それこそその子の人生は致命的な制限を受ける。
 わたしは抑制されて育った。
 少年サッカークラブに入りたかったし、それがだめならスイミングスクールに入りたかった。
 しかし母親の下した決断は、「どうせおまえは続かないよ」というひと言であり、入りたくもないそろばん教室に通うことになった。
 そろばんが無駄だったとは思わないのだが、なぜ母はわたしがやりたいということを全面的に否定したのだろうかと、大人になって思った。
 たしかにわたしは忍耐という言葉から疎遠だ。
 厳しい指導からすぐに逃げ出したくなる性格だ。けれどもし、もしもだが、幼いころに厳しい監督下に置かれて、サッカーをしていたら今とは違う自分になっていたのではないかと、そう思うこともある。
 これは今のわたしが思う言い訳であって、当時の母から見れば消極的な子どもに務まるはずがないと、先見の明で見越していた可能性だって、あるのだ。
 その反動からか、わたしは大人になって、40歳になる前にジョギングやテニスを始めた。
 40になったら年齢を言い訳にして、新しいものごとをなにも開拓しなくなる、きっとわたしはそういう性格だと、自分自身で思ったのだ。
 だから無理に始めた。
 人見知りだとか、いまさらスポーツを一からだとか、そんなことは考えずに、この人生でやれる最後のチャンスとして、40になる前にやりたいことすべてをやろうと決めたのだ。
 ボルタリングと釣り、それからスキューバダイビングは始めなかったが、それはお金の問題や時間の問題もあって、選び取ったのは走ることとテニスだ。
 息子はまだまだ若い。
 わたしのように最後のチャンスだ、などと考えなくても、いくらだって、なんだって始められる。
 そういうことを、やはり大人は可能性と呼ぶのだと思う。
 プロになる、一流になる、それは遥か彼方の難しい、奇跡のようなことだと思う。けれど始めなければ、目指さなければ何も勝ち取れない。
 そういうことを、わたしは息子に教えてやりたい。
 若さが美しいというのは、若いという事実だけが素晴らしいのではない。
 若いという、その真実をきちんと理解して、正直に挑戦していけるからこそ、その人は美しいのだ。

お題「マイルール」