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卵を焼くために、わたしは生きているのだ

今より先に、失望も絶望もない。

あの日あなたがいた。

日常

今週のお題ゴールデンウィーク2016」

 

 

 何気ない夜だった。
 わたしは夏のかすかな熱気を感じさせる夜気に吹かれて、けたたましい音楽が漏れ出てくるバーや、笑い声の絶えない居酒屋の前を歩いていた。
 とても平和な、いつもの駅前の風景だった。
 八王子という都会でもなく、かといって辺鄙な田舎というわけでもなく、無難に発展した街の、ありがちな夜だった。
 ちょうど七日前に、母の弟が他界した。
 まだ五十代で、若すぎるといえばそういうことなのだが、人の生き方を考えれば、そこに至るまでの時間は様々であって、酒に溺れた叔父の死に際が早かったかどうかはわからないと、金券ショップの前を過ぎながら思った。
 そして、陳腐だなと、唐突につまらなくなった。
 金券ショップ。不必要な図書券やビール券、鉄道乗車券を売って金銭を得る。そこには様々な思いがあるのだろうし、もしかすると必要なものを切り崩して売っている人もいるのだろうし、心底不要なものをさばいている人もいるのだなと、そこはかとなく思った。
 アルコールで死んだ叔父は、意味があったのかと思った。
 こうやって売買されるような、せめて金銭で取引されるほどの価値はあったのかと。
 すると自分も、この瞬間に失われたとして、ではどれほど価値があるのかと、雑踏の中で思ったのだ。
 つまらない考えだと、すぐにわたしは前を見据えた。
 学生時代の感覚だった。存在理由などということについて必死に考えて、しかしそんなことに思考を没頭できることはつまり暇がなければできない。心の余裕が生み出すのが、そう行った迷いであって、真に忙しい人間は存在理由なんてものは気にしない。
 生きている以上生きていくしかないのだ。
「玄関が揺れたんだよ」
 母は言った。
「馬鹿かおまえは。そういうことを公言すんな」
 父は本気で怒っていた。
 叔父が死んだ翌日、母は確かに玄関を誰かが叩く音を聞いたのだという。枕元に立つ気配すら感じたというのだが、これには家族全員が否定的だ。
 父は言う。
「非科学的なことに傾倒するのは時間の無駄だ」
 わたしもそう思う。
 ただ父の間違っていることは、時間というものがそれほど貴重でないということだ。
 いや、貴重なのだが、普段は浪費している時間というものを、こういう肝心な時に無駄と言い放てるほど、わたしはきちんと生きていないのだ。
 半分くらい、人生の半分くらいわたしは生きた。
 避けてきたのに、人の死に直面せざるをえなかった。
 親族はもちろん、知人、そしてこればかりは考えたくなかったのだが、かつて愛した恋人の死もあった。
 その笑顔が、美しい公園や湖を背景に蘇って、半ば言い争うようにして別れた夜のことを、そこから幾度も交わした会話を思い出すと、どうしようもなく無気力になるのだ。
 あのエネルギーは、あの人とぶつけ合った熱量は、もっと違う形に昇華できなかったのかと。
 例えば一緒に行った箱根の写真がある。
 わたしたちは笑っている。
 何の根拠もなく、憂いもなく、笑っている。
 数年後の別れ、それも永遠の別れを予期なんてしていない。ただそこにある小さな滝や、離れの露天風呂、色鮮やかな浴衣にわたしたちは心を奪われている。
 あなたがいてくれた。
 そういう日が、きちんとあったのだ。そんな日があったことすら忘れかけて、わたしは今日という日に愚痴を吐いたりしている。
 ここにあなたはいないのに。