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卵を焼くために、わたしは生きているのだ

今より先に、失望も絶望もない。

サヨナラ小さな、あの頃のわたし。

日常

今週のお題ゴールデンウィーク2016」

 

 車を買った。
 突然に、まるで興味のない車を、即決で買った。それには理由があって、仕事の大きな異動によって車でしか通えない僻地に移転した、表向きの理由だ。
 一方で、わたしは今まで足枷をつけられたように行動範囲に制限があった。
 車を買って維持するだけのお金はないと思っていたし、今でも危うい状況だ。
 お金の問題は切実だが、もしかするとわたしはあえて行動範囲を絞っていたのではないかとも思った。
 運転の危険性はもちろん危惧していたし、車という手段を持つことは堕落につながるという気持ちもあった。車がないのだからと、違う贅沢を自分に許しているところもあって、日々に満足していたのだ。
 車が来てから、息子はよく車に乗りたがる。
 どこへ行くとでもなく走らせても、息子は目を輝かせて車窓を眺めている。そして決まって、今まで電車移動ではおとなしく座っていた息子が、車の中で眠るようになった。
 それを見て、少し不憫になった。
 六歳になるまで息子は電車とバスと徒歩だけが移動手段だった。座れなくても文句ひとつ言わず、ほとんどの場合きちんと起きていた。目をこすっていることもあったが、「大きな踏切!」「鳩さんいっぱい」「ここですごく曲がるんだよ」などといつでも自分で楽しい情景を見つけて、眠らないように、置いて行かれないように、常に緊張していたのではないかと思うのだ。
 たった十数分の帰り道でも、息子は車に乗ると必ず眠る。
 ずっとこうやって、子どもらしく疲れてしまったと、退屈な移動中は眠りたかったのではないか、ずいぶん無理をしていたのではないかと、わたしは思うのだ。
 わたしは幼いころの自分を思い出した。
 父は車が大好きだった。
 日産車を愛していて、スカイラインがわたしの物心がついたころに乗っていた車だった。白の、角ばった堂々とした外見で、父はいつもハンドルを小刻みに右に左にと、動かしていた。
「なんで、そうやって動かすの? 曲がっちゃわないの?」
 わたしはいつもそれが不思議で、聞いたものだった。
「遊びっていうんだよ。少しくらいハンドルを回したって車はすぐには曲がらないんだよ。こうやって動かしてないと、退屈しちゃうだろう?」
 そう言って笑う父は、ちっとも運転が苦のようには見えなかった。
 わたしは小学校の高学年になるまで、毎日父の帰りを待っていた。
 六時前には必ず父は車で帰ってきて、急かすようにその背中を押した。父は笑いながら、「そうかそうか」と背広を脱いで、ハンガーにかけ、ワイシャツ姿のままわたしの手を引いて再び車に乗り込んだ。
 連れて行ってもらったのは近所に数か所あった牧場で、牛たちが狭そうな空間の柵の向こうにいた。
「あまり手を出しちゃいけないよ」
「うん」
 わたしはじっと開けた窓の向こうの牛たちを見ていた。
 蠅が飛び、臭かった。臭いのだけれど、牛たちの優雅な顔が好きだった。いつも変わらずそこにいてくれる。まるでわたしを待っていてくれるかのような牛たちに、わたしは毎日会いたくてならなかった。
「この牛さんたちの牛乳をさ、おまえは給食で飲んでいるんだよなあ」
「そうなの!?」
「そうさ」
 とても嬉しかった。わたしと牛たちとの接点があるのだと、それが嬉しかった。
「牛、見に行かないのか?」
「うん」
 そういう会話が始まったのは、おそらくわたしが十歳になってからだ。
 急速に牛への興味はなくなって、ただそれだけだったのだが、父はとても淋しそうだった。動物への興味を失ったわが子への懸念だったのだと思っていたのだが、車を買って、それに乗る息子の嬉しそうな顔を見て、今知ったのだ。
 子どもが車に乗るということに興味を失ってしまった。たかが近所へ少しだけドライブするだけなのに、実は父がそれをどれだけ楽しみにしていたのかと、わたしは親になって初めて知ったのだ。
 助手席で眠る息子を見ていて思った。
 この子もやがて、この狭い空間から卒業していく。
 車だけじゃない。
 わたしたちの造りあげた家庭という場所からも卒業していく。
 さようならは実はすぐそこにある。確実にそこにある別れに向かって、今はこの小さな軽自動車が、わたしたち家族をいろいろな場夜へと運んでくれる。
 そういう休日を、わたしは過ごしているのだ。