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卵を焼くために、わたしは生きているのだ

今より先に、失望も絶望もない。

例えばバーベキューで見つけた未来

日常

 バーベキューをやった。

道具を買いそろえて、自分から主体的に初めて、バーべキューをした。

たかだかな素材たちが、野外で食べるだけで格段に美味しくなることを再認識した。

公園にはいくつかのバーベキューをしている家族や団体がいて、賑やかに、煙が上がって子どもたちの嬌声が響いていた。

 素敵な光景だと思った。

 遠景には高尾山や陣馬の山々がそびえ、新しく建設されたマンションやイトーヨーカドーも見えて、古くからある神社の五重塔すら眺められる。

 煙が立ち上る。

 空へ、わたしたちの思念を運んでいく。息子の嬉しそうな笑顔も、相方の笑顔もきちんと乗せて、空へ運んでくれる。

 わたしたち家族の喜びが、とても小さな幸せが録画されているような感覚を覚えるのだった。

 わたしは酒に溺れている。

 自覚しているのだが、完全に、アルコールに依存している、そういう生き方を、すでに十年以上送っている。

 車で行った以上、飲むことは許されなくて、飲みたいとも思わない。

 久方ぶりに、わたしはきとんと普通の一日を、人として遅れたようにも思う。少々大げさだが。

 狭い路地を抜けて、もう一軒くらいと焼鳥屋の暖簾をくぐった、若い日を思い出した。

 意味もなく涙を流し、わけもわからず怒鳴り散らした若いころの自分がそこにいた。

 幸せではなかったが、満たされないという渇望感は、次の日の糧にもなった。

 平凡は幸福なのだろうか、そういうことをわたしはこのごろ考える。

 考えられる年代になった、言い換えればそんなことを考えてしまう、詰まらない年代になったのだ。

 でも、思ったのだ、今日、バーベキューをして、そこにはきちんと青い空があった。

 青い空をきちんと確認したのはいつ以来かと、そして空が青かろうとそうでなかろうと、今までのわたしはどうでもよかった、そんなことよりも仕事や家事や、もろもろの懸念事項があったじゃないかと。

 息子はサッカーボールを大きく蹴って、初めて三回も高く蹴れたと喜んでいた。

 相方はアウトドア不得手なわたしたちが無事にバーベキューができたと、柔らかく笑っていた。

 わたしはなぜ幸せに基準を設けていたのだろうかと思った。

 幸せに基準なんてないのだと、そもそも幸せの定義なんてない、ただそのとき笑えるのならば、それがささやかな幸福なのだと、淡い日差しの中で思ったのだった。

お題「マイブーム」