卵を焼くために、わたしは生きているのだ

今より先に、失望も絶望もない。

届けよきみに。花束を。

 花束を贈るんだという発言に、耳を疑ったのだ。
 花束と言えば、送別会だとか、大げさな行事でしか起こりえない出来事ないのだと、思っていた。
 彼は一歳違いの同僚で、毎年花束を結婚記念日に奥さんに差し上げるのだと言った。
「花束を?」
「うん。欠かさずやってる」
 仲の良さも羨ましかったが、それ以前に結婚記念日すら覚えていないわたしには、別次元の美しい話だった。
 その同僚は二歳違いの、本当に仲良くなれた友人でもあった。
 優しくて思いやりがあって、いつもわたしたちはふたりで話し込んでいた。
 彼には持病があって、心臓に根源的な疾患があった。
 よく思ったのだ。
 なぜ人は、いい人間ほど理不尽な病気になってしまうのかと。たとえばみのもんたのような愚かな人間はのうのうと生きていられるのかと。
 わたしにとって彼は友人であるとともに、大切な同僚だった。 
 仕事を教えてもらって、私生活を応援し、ともにこの世界を生き抜くパートナーだった。
 本当に大好きだった。
 毎朝彼がいて、おはようを言って、そこから始まるすべてをふたりでこなすことが大好きだった。
 笑いあって、天気の話なんかをして、さあ仕事でもする? というのりが大好きだった。
 

 彼の五周忌になった。
 素敵な日々をありがとうと、そしてあなたが思っているほど世の中は素晴らしいものにもなっていない。
 けれどあなたが予言したとおり、わたしはきちんと結婚をして、子どもに恵まれて、なんだろう、普通な幸せを享受している。
 花束を贈り続けたあなたにこそ、花束を贈りたいと、そんなことをひっそりと思っているのだ。

 

 

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