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卵を焼くために、わたしは生きているのだ

今より先に、失望も絶望もない。

卵を焼くために、わたしは生きているのだ

日常

今週のお題「私がブログを書く理由」

 

 わたしのマンションからは富士山の頭の部分が見える。
 東京の端っこから、堂々たる富士の山が、そこにある。
 わたしはキッチンに立つ。
 キッチンに立つ朝は静かで、締め切った窓の外からは車の音も鳥のさえずりも聞こえない。
 音のない場所で、じゅっと油の爆ぜる音がする。
 卵を慎重に割る。
 息子を想うように優しく、できる限りフライパンとの距離を近くして、ゆっくりと卵を割る。
 必ず三つ。
 わたしと家族の分、それぞれ焼き加減の好みは違うのだが、それは日によって変える。
 子どもはとろりと黄味が流れる目玉焼きを、ご飯の上に乗せて食べるのが好きなのだ。
 水を少々加え、いよいよ騒がしくなったフライパンに蓋をして、再び窓の外を見る。
 雄大な山々の向こうにある霊峰。
 雨の日もある。雨にけぶった町は、とても淋しいのだが、守られているという実感をえることもできる。
 黄味が固まるか固まらないかのタイミングを想像して、蓋を外す。
 上手くいっている日もあれば、黄味に火が入りすぎて、わたしの好きな焼き加減になっていることもある。
 家族のことを考えながら、その完成形をみると、ああ、わたしは卵を焼くために生きているのだと、思う。
 大げさなのだろうが、わたしが朝、静かなキッチンで卵を焼くことで、一日は始動するのではないかとさえ思うのだ。
 卵を焼くために、わたしは生きているのだ。
 そう思った日に、わたしはブログを始めた。
 日記ではないのだが、思ったことを綴る。架空のお話たちが日々飛び出してくる。それは卵の焼き加減が定まらないのと同じで、いろいろなお話があるのだと、そういう現実をわたしは提示し、わたしはここにいるのだと、世界のどこかに向かって訴えているのかもしれない。
 だからわたしは書いている。