卵を焼くために、わたしは生きているのだ

今より先に、失望も絶望もない。

完全菜食主義の入口

 肉に魚に卵に乳製品を食べないと言うと、たいていの人は眉をしかめる。

 そんなことできるはずがないと、そんなの逆に不健康だと、誰しもが言う。バランスよくなんでも食べることが一番健康なのだと、お節介を焼いてくれる人もいた。

 わたしは20代後半まで煙草を吸っていたのだが、煙草を辞めるにはとにかく最初の三日間、吸わずに堪えられれば比較的すんなり脱煙(変な言葉だ)していける。しかしその苦痛は相当なもので、カフェでも待ち合わせでも、ちょっとした時間の隙間に煙草を吸っていないということが受け入れられないのだ。

 それに比べてヴィーガンは辛いことなどあまりない。

 まずもって、食べないわけではない。空腹をきちんと満たし、味気ないかもしれないが、野菜や豆類に穀類は好きなだけ食べられるのだ。

 わたしは最初の一週間くらい、少しだけ切ないなと感じた。

 脂身たっぷりの肉は美味しいし、新鮮な刺身は極上だ。卵なんて食材の大様だし、せめてチーズくらい食べないと心の隙間は埋められない気もする。

 わたしはヴィーガンよりもさらに極端に、小麦製品も控えていたので、パスタもパンも食べなかった。

 ちょうど子育て真っ最中で、この子が4歳になるまでは化学調味料を一切使わずに、すべて手作りで、さらにこれは申し訳ない言葉になるが、放射性物質を避けるために山梨以北の食材は北海道を除き購入しなかった。

 お金がかかる以前に、スーパーを何軒も廻らなければならなかった。

 鶏肉なら三和にいけば宮崎産が、豚肉はイトーヨーカドーで鹿児島産を、トマトはいなげやで熊本産を、というように、毎日数件のスーパーマーケットを回り、家族の食事を作っていた。

 そこで思ったのだ。

 献立を考えるのが疲れる。ならばわたしはダイエットついでに毎日同じものだけを食べ続ければいいのではないか。

 そこで完全菜食主義に踏み切った。

 考える必要もなく、食べるのは毎日同じもの。たまに味噌汁をつくったり豆腐がでたり納豆になったりするが、基本的にはサラダと雑穀のみ。これなら少なくとも自分の食事には無関心でいられる。

 肉の美味しさ、魚の美味しさは記憶に残り続けるのだが、なくなってみれば淋しくはない。むしろ完全にわたしの前から消えてしまえば、気にならなくなった。

 肉は美味しい。けれどキャベツだって人参だって、不味いわけじゃない。むしろ美味しい。ジャンルが違うだけで、美味しいことには変わりない。

 一か月もすれば、肉や魚を食べたいという気持ちがなくなり、むしろ食べたくなくなった。

 それは下の話になるが、便通が毎日きちんと出るようになるし、それも硬い便で、下痢になることは皆無になった。

 奈良の鹿を思い出せばわかるのだが、便は臭わず、ティッシュで一回吹けば十分で、空腹感を感じなくなり、精神が研ぎ澄まされたように鋭敏になり、花粉症は治った。

 今でこそ思う。

 ヴィーガンのすばらしさは、美味しいものを食べられないという苦痛以上の、遥かな恩恵を享受できるのだ。

 体が軽く疲れを感じない。

 アレルギーは完治する。

 寝つきがよくなり、朝は目覚ましなしでも確実に5時には起きられる。

 体臭もなくなって頭の脂も減る。皺が消えて染みもなくなった。

 これだけの恩恵があれば、誰でも続けられるのではないだろうか。

 つい最近わたしはヴィーガンを辞めたが、やりたいという人は応援する。応援するし、その恩恵は計り知れない。これはひとつのライフスタイルであって、ヴィーガンは地球環境に優しいとか動物愛護だとか、そういうことはどうでもいい。

 ただ自分がそうありたいのか。それだけなのではないかと思う。