読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

卵を焼くために、わたしは生きているのだ

今より先に、失望も絶望もない。

警告制度

吉田係長は審判の掲げるイエローカードを見て、呆然と立ち尽くしていた。

これで累積三枚目のイエローカードだ。

ルールでは明日の出社は禁止。そして明日は吉田係長のプレゼンが予定されていたのだ。

「あーあ。吉田係長やっちゃったね」わたしは新商品のルイボスティー、二十杯分サプリの箱を眺めながら言った。

「女子社員にコピーとらせちゃだめだわ」と、同僚の白崎は笑った。

これで吉田係長の出世はまた先延ばしだろうか。

今回プレゼンするはずだった塩麹成分配合の入浴剤を思い返してみる。うん。悪くはなかった。

女性の心を捉える良い商品だった。肝心の仕事ではまるで女性を捉えてはいないけれども。

職場に警告精度が出来て久しい。

ルールはサッカーと一緒で、ファウルをすればイエローカードが出される。これが累積三枚となると、翌日の出社を禁止される。

審判員は派閥に属さないとされる社員から選ばれていて、一年ごとに任期を終える。

警告対象の行為であるが、多くの場合はセクハラやパワハラである。

当事者から相談しづらい物事であるからと、社長の一存で始まった警告制度なのである。

ランチは新しく出来たインドカリーの店へ行った。

カリーという表記は歯がゆさを感じたが、食べてみてその味の深さに驚いた。

辛いものが苦手だという白崎も絶賛で、「辛いのに美味しいって本当にあるんだ?」

「そうそう。辛味と旨味を識別する下の場所って違うんだってさ。だから辛うまってなるみたい」

わたしの頼んだのはチキンかリーで、もちもちのナンも表面はパリッとしていて食感が楽しかった。

窓際には吉田係長がいた。無言でわたしは白崎に合図を送った。

可哀想に。吉田係長は暗い表情でナンをちぎっていた。

午後は眠気との戦いであった。

白崎はきびきびと発注作業をこなしていて忙しそうだ。わたしは特段急ぎの仕事はない。

またひとつからあくび。

吉田係長の後姿が見える。

あれ? あれれ? 違和感がある。

漠然とした違和感。カレーでなくカリーと発音するような違和感。

思わずわたしは係長に近づいて行って、近くから眺めていた。

眠気で頭がどんよりしていたとはいえ、吉田係長の背後までするするとやってきてしまったことに驚いた。

周囲をさっと見回しても、誰もこちらに興味を示している者はいない。

いま一度吉田係長の頭を観察する。間違いない。カツラだ。

セクハラ吉田がカツラ。

新規採用の女の子をいきなり飲みに誘ってイエローカード

部内で最も美しいと評判の薫嬢の両肩に触れてイエロー。

そして今日、女なんだからコピーくらい取れという言い草にイエロー。

「へえ。吉田係長、お被りものをお召しになっていたんですね」

わたしは意地悪く、そっと耳元で囁いた。

吉田係長の背中がびくんと反応した。

振り返ったわたしの目の前には、怒りをあらわにした審判員がレッドカードを提示していた。

レッドカード。悪質なファウルに対して出されるカード。

即刻退社をし、翌日も出社は禁止。物事がさらに悪質である場合は協議の末数日から数ヶ月に及ぶ出社停止処分も下される。

わたしは膝からその場に崩れ落ちたのであった。