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卵を焼くために、わたしは生きているのだ

今より先に、失望も絶望もない。

伊坂幸太郎 オーデュボンの祈り

 時々日常が窮屈だと感じることがある。
窮屈というと語弊があり、平凡さが退屈に変わってしまうとでもいうのだろうか。
 でも同時に、予測できる日常、当たり前のように朝から晩までの行動が予測できかつ遂行できる日々を、平穏な幸せと思うこともある。
 小説は、平凡な日常を逸した場所にある。
 読んで追体験をするという楽しみ方もあれば、その文体に恋する読み方もある。
 人は欲張りだと、いつもわたしは思う。
 美しい文章にため息を漏らし、スペクタクルな展開に歓喜し、感傷的な終焉に涙する。そうやって物語を味わっている。
 けれどもそれは所詮物語、作り物の世界だと、だから現実の社会でわたしも体験してみたいとさえ思う。
 それは大きなリスクを負うのに、それなのに例えば桐野夏生さんの「だから荒野」のような野放図な生き方に憧れたりもする。
 そもそも太宰治人間失格に傾倒していた時期もあったし、今でも思うのだ。まっすぐに正しいとされる人生は楽ではあるけれど、楽しいものであるのかはわからないと。
 わたしは一度離婚をして、同じ人物と再婚した。
 些細なことだ。 
 ドストエフスキーの書いた罪と罰に比べれば、川端康成の雪国に比べれば些細なことだ。
 人生の中に大きな転換があったのではないし、転換が素敵なことだとも思わない。
 だから一度離婚した、再婚した、という事実は今の世界ではたいしたことはないのかもしれない。
 そういうわたしが大好きな、現実から少しだけずれている、不可思議な世界を描いた小説がある。
 ミステリ小説は大好きだが心に残る作品はほぼ皆無なのだが、伊坂幸太郎の「オーデュボンの祈り」はずば抜けていた。
 こんな作品はありえるのだろうかと、読後にしばらく放心した。
 そもそも筒井康隆という奇才にはまっていたので、どんな作品にも驚くことはなかったのだが、伊坂さんのオーデュボンには心底参った。
 この作品の世界観は美しく悲しく、そして物語は裂けるチーズのように少しずつ心を削っていく。
 綺麗な世界ではないのに、そこの住人になりたいとさえ思う。
 ポールオースター「最後の物たちの国で」という作品、とても感銘を受けた。
 これに通じるものを受ける傑作だと、わたしは今でも伊坂さんのデビュー作が忘れられない。
 残念なことに、伊坂さんはこのデビュー作を超える作品を一作も書いていない。それだけが気がかりで、わたしは今は伊坂さんの作品は買わないことにしている。
 逆にいえば、それほどこの作品は完璧なものだった。

 

 

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