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卵を焼くために、わたしは生きているのだ

今より先に、失望も絶望もない。

青が散る。

日常

特別お題「青春の一冊」 with P+D MAGAZINE
[http://blog.hatena.ne.jp/-/campaign/pdmagazine:image=http://f.st-hatena.com/images/fotolife/h/hatenablog/20160328/20160328194416.p

 わたしはスポーツをしてこなかった。

今でこそ毎朝ジョギングをして、週末は馬鹿みたいにテニスを四時間以上やっているのだが、学生時代は帰宅部、それはそれは情けないひ弱な人間だった。

 時々感じる。

 この心の弱さは、もしかして部活動をしなかったからなのか。強面の担任が組んだ無意味ともいえる筋肉トレーニングをこなせなかったから、だからわたしは弱いのかと、そう思うこともある。

 けれどそれは逃げなのだと、今現在わたしが不完全であることの言い訳であるということもわかっている。

 宮本輝という有名な作家がいる。村上春樹ドストエフスキー川端康成武者小路実篤も好きだ。むしろわたしが好きなのは第三の新人と呼ばれる人々で、特に庄野順三や小島信夫などが大好きなのだが、でもやはり運動を諦めたわたしが心に突き刺さる、衝撃的だった小説は宮本輝さんの「青が散る」だった。

 テニス小説で、いわゆスポ魂ものに分類されるのだろうか。

 例えば村上龍さんもテニスボーイの憂鬱という傑作を書いているし、昨今では三浦しおんさんの「風が強く吹いている」という箱根駅伝を題材にした傑作もある。

 だが宮本輝さんの「青が散る」はとんでもない衝撃があった。

 繊細な心の機微、灼熱な陽光や凍える寒さを感じる冬の描写、何よりも夏子という女性を想う主人公の気持ち、すべてが青春だった。

 青春って、とても難しい。

 青臭いことが青春だと、すべてを知らないから、だから不完全で理想主義なことが若さだと、甘さだと規定する作品は多い。

 けれど若いってことはそうではない。大人になって、熟年に達しても決してわからないことがたくさんある。わからないのに、わかったふりをする。

 世間は甘くない。社会はそんな甘えていては生き抜いていけない。理論だけでは生きていけないつまりおまえの知識なんて現実では通用しない。

 若いころはそりゃそうだよなって、素直に感心していたが、大人とされる年代になっても答えなんて出ないのだと知った。

 だとしたら、「青が散る」の主人公のように、こうあるべきだと、信じるものがあることが生きているということなのではないかと、そう思う。

 かなわないことであっても、こうありたいと願う気持ち。

 村上春樹さんも切ない話を、かなわない話を書いた。今わたしが最も好きな吉田修一さんも、理想と現実を残酷なまでに書いている。

 わたしたちはどこまで生きても、完成しない。

 完成しないからこそ悩むのであって、悩んだ末に昇華していくことは稀で、だからそこを焦点に現実的な回答を突きつける村上春樹さんも吉田修一さんも大好きなのだけれど、少しだけ夢を見たい、ほんの少しだけ生きていることの喜びを見出したい、そう思わせてくれたのは、宮本輝さんの「青が散る」だった。

 この作品があったから、わたしはなぜか中年になってテニスを始めて、炎天下のもと馬鹿みたいにテニスをしている。

 二十年前に読んだ作品なのに、テニスをする。

 仲間は靭帯を断裂したり、頭蓋骨を骨折したり、毎年怪我は絶えなくて、いずれわたしも怪我をするだろうけれど、テニスを続ける。

 その本質に、「青が散る」が教えてくれた生きる喜びと悲しみを、わたしは今でも忘れていないのだ。