卵を焼くために、わたしは生きているのだ

今より先に、失望も絶望もない。

正しい食生活なんて、あるのだろうか。

 マクロビオティックベジタリアン、糖質制限に炭水化物ダイエット、それから……。
 巷にはダイエット法や食習慣があふれている。
 これだけ多様なのは、もちろんわたしたちは先進国に暮らしていて、自由に食生活を選べるからだろう。
 明日のことがわからない生活で、どうして鶏の唐揚げを拒めるだろうか。
 朝食抜きダイエットは間違いだと、炭水化物抜きダイエット、バナナだけダイエット、菌活だのなんだのと、毎週のようにブームが沸き起こる。
 それほど痩せたいのだろうかとも思う。
 日本人は根本的に西洋人のように巨漢にはなれない。
 太れば醜いのは事実だが、西洋人のような丸太みたいな太りかたはそもそもできないのだ。それは腸の構造、消化システム、それらがまったく彼らと異なるからだ。

 正直なところ、わたしはどのような食生活が正解なのかわからない。
 よく聞くことだが、すべてのものを適度に摂取することが一番健康的だという主張、それは一見正しいと思われるが、それもどうなのかわからない。
 人は肉を必要とするのだろうか。
 肉はきちんと消化できずに、腸内で腐る。腐るから便が臭う。これは肉食をやめるとよくわかる。便が硬くなり、まったく臭いがなくなる。奈良の鹿と一緒だ。草食の果てにはコロコロの便があるのだ。
 牛乳は人間にとって吸収できない成分だ。そもそも多種の生き物の乳を大人になっても摂取する生命体なんて、人間以外に存在しない。
 牛乳にあるとされるカルシウムは、人間の腸内では吸収できない。つまり牛乳は戦後アメリカに押しつけられた産物でしかない、という人もいる。ベジタリアンの主張だ。
 今、糖質制限が第一線で流行している。
 しかも、これまでにない勢いで、科学的な実証も従えて、どうやら勝ってしまいそうな勢いだ。
 白米は糖質そのもの。
 食べるべきではない。
 肉はいくら食べても良い。タンパク質なのだから無制限でよい。
 パスタもパンも駄目。米も駄目。糖質は悪である。
 しかし著名な糖質制限ダイエットの人物が死んだ。
 それは食生活と関係ないという憶測もある。
 なにが正解なのか。常にわたしたちは考える。というよりも踊らされている。
 
 わたしがヴィーガンを貫いていた時に、「食べる」人たちを観察し続けた。
 正直に言うが、「食べる人」はとても幸福に見えた。
 美味しいという感覚は、生きていくうえで、生きているという実感を得るために大切な感情だ。
 同時に、浅ましいと思った。
 美味しいというだけのために、生き物を虐殺し、尊厳を奪い、商業システムに乗せて雇用を狂わせ、自身の脂肪量すらコントロールできなくなる人間は、なんと浅ましいものかと失笑した。

 食べることは、味わうことは素晴らしい。 
 わたしは断言できる。
 犬でも猫でも馬でもいい。
 食べることは人生を豊かにするのだ。
 もちろんわたしは犬をこよなく愛し、幼いころから犬と過ごしたから決して殺しもしないし食べない。猫もそうだ。
 でも犬も猫も、飼ったことがない馬だって食べていいと思う。
 ヴィーガンを経験したからこそ思うのだ。
 命を奪うことは必然で、そこから得られるものを余すことなく頂くことこそ運命なのだと。
 ただ殺すだけ。
 それこそが一番罪深いのだと。