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卵を焼くために、わたしは生きているのだ

今より先に、失望も絶望もない。

ヴィーガンからの卒業

今週のお題「卒業」

 

 ヴィーガンを始めたという記事の直後に、ヴィーガンからの卒業を書く。
 ヴィーガンとは完全菜食主義、肉も魚も卵も乳製品も摂取しない。そしてわたしは独自のルールで小麦粉を使った製品も食べなかった。
 四年間のヴィーガン生活、どうなったのか。
 花粉症がほぼ完治した。
 風邪をまったくひかなかった。
 目覚まし時計が不要になった。確実に五時に目が覚めるのだ。
 疲れることがなくなった。どれほど動いても、テニスを四時間やって自転車でコートまで往復二時間かけ、その前に朝一時間ジョギングをして、それでも疲労感はゼロだった。
 吹き出物もできないし、お通じは完璧で、下痢になることは皆無で、常に頭の中がクリアな感覚に陥った。
 これほどの劇的な変化が次々に訪れて、わたしは菜食主義というものは宗教だとか殺生を嫌う人だとか、そういう思想に基づかなくても十分に成り立つし、意義があるのではないかと実体験した。
 その一方で、社会生活に支障をきたすことも痛感した。
 大切な飲み会にすら出られない。
 肉も魚も食べられないような人間に用意された会食の場はない。
 そしてわたしは、4年間のヴィーガン生活をやめることにした。
 なぜやめるのか。意味はない。
 始めたのはダイエット目的であり、動物を殺すのが可哀想だとか、地球環境を守りたいだとか、そんな思想は皆無だった。
 ただ興味本位で始め、そこから卒業する。
 家畜は過酷な環境で育てられ、食べられるためだけに生かされる。
 本来穀物の生産量は十分すぎて、飢餓なんて起きないほど食物は栽培されているのに、牛や豚や鶏を育てるために消費される穀物のせいで、飢餓がなくならない現実も知っている。
 けれどそれが悪いこととも思っていない。
 殺される動物のおかげで人間はエネルギーを得て、美味しいという感覚で満たされる。強いものが弱いものを搾取している。
 それが世界の成り立ちの根本ではないかと、仕方ないことでないかと、そう思う。

 例えば、フォアグラは動けないように閉じこめたカモに強制給餌、鉄パイプを喉に突っ込んで餌を流し込み、一日に三、四回、二、三週間続ける。その結果肝臓は肥大し、十倍程度に膨れ上がって、カモは呼吸困難や歩行障害、嘔吐、下痢、苦しんで死ぬのだ。
 毛皮だって、脳天を叩きつけて半殺しにされた動物の皮を剥ぐのだ。まだ息のある愛らしい動物のもだえ苦しむ姿、動かなくなるまでナイフの柄で頭を叩きつけて皮を剥ぐ、それがわたしたちの着ているダウンジャケットの素材だったりする。
 しかしだ、わたしはそれを悲しいことだとは思うが、だからといって思想として、信条としてヴィーガンになろうとは思わなかった。
 動物愛護の精神でヴィーガンを選ぶ人をわたしは尊敬する。
 地球環境を守ろうとしてヴィーガンを選ぶ人も尊敬する。
 でもわたしは違った。
 ただ痩せたかっただけで、興味本位で四年間だけヴィーガン(プラス揚げ物も小麦粉も駄目)な生活を送っただけだ。
 
 卒業する。
 本当のヴィーガンの崇高さ、もしくは愚かさ、そいうった核心は知らないままに、わたしはこの春に卒業する。