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卵を焼くために、わたしは生きているのだ

今より先に、失望も絶望もない。

ヴィーガン 始めました。

 食生活を変えてみようと思った。

 4年前のことだ。
 平凡な月曜日だったが、ふと先輩社員が漏らしたひと言から、わたしは深い迷宮に入りこむことになる。
「スーツ、買い替えちゃった」
「え?」
「胴回りがきつくてさ、40過ぎたら駄目だよね。でさ、この際だからワンサイズ上げて買い替えちゃった」
 喜々として語る先輩だったが、わたしは脳天を打ち付けられたような衝撃を覚えていた。
 ちょうど買い替えようと思っていたのだ。スーツを。
 そしてお腹の周りがきつかった。きついのは仕方ない。だって新人社員のころに買ったスーツだったし、それから十年以上も経過しているのだ。体型が変わるのは当たり前のことだと。
 年齢を重ねたから太っても仕方ない。
 それは言い訳なのだと、わたしの甘えを断罪するような大鉈が、見えない大鉈がわたしを真っ二つにした。

 ダイエタリーヴィーガンという言葉はあとで知った。
 その日からわたしは、肉に魚、卵に乳製品、さらには食べすぎてしまうという理由で小麦から作られるものも食べないことにした。
 極端すぎると、どれだけ言われただろうか。
 肉を食べない? じゃあ力が出ないじゃないか。
 魚なんて、カルシウムもあるしDHAだとか、それから骨を強くするじゃない。
 卵は完全栄養食だよ?
 ヨーグルトもチーズも、牛乳も全部いいことだらけじゃんか。
 小麦? そしたらパンもピザもパスタも食べないの? あり得ないって。
 そのたびにわたしは釈明した。釈明とは違うのだろうか、決意を述べた。
 本来ヴィーガンというベジタリアンの種別は、小麦は食べる。しかしわたしは禁止した。揚げ物もやめ、油はオリーブオイルのみとした。
 著しく食べられるものは限られて、外食は不可能となった。
 わたしはそこから4年間、豊富な野菜類と雑穀米、豆腐や納豆の大豆製品に海苔などの海産物、キノコ類、それだけで生きてみた。食品添加物も避け、東北に起こった大震災の悲劇的な産物である放射能も避けるために、限られた食品の産地にまで気をつかった。
 病的であると、そう断言してもいい。
 自分でも自覚していたが、それはむしろ楽しいことだった。
 人体実験。わたしを利用した実験なのだ。人は野菜と穀類だけで生きていけるのか。常識だった肉や魚が力の源でないことを証明できるのか。
 そこでわたしは運動に力を入れた。
 毎日一時間のジョギングを始め、テニススクールに通いだし、テニスサークルに入って週末はテニス三昧の日々を送り始めた。

 肉も魚も、卵も乳製品とも別れを告げた日、その日はよく晴れていた。
 部屋に帰って冷蔵庫を開け、妻と子どものための食事と、わたしのための食事を二種類作る、その構想を練った。
 日は落ちて、闇が街を覆って、電灯の白い明かりの中でわたしは調理を始めた。
 これから常識と戦う、そして食欲と戦う、香ばしいジャーマンポテトの匂い、唐揚げの匂いをこれでもかと吸い込んで、緑だらけのサラダをつくるわたしを思い出す。
 孤独で辛い調理だった。
 だがその先にあったのは、思いもよらぬ体の変化だった。